幻想的な夏の風物詩 大山和傘灯り
大山寺エリアの夏の風物詩のひとつである「お盆の大献灯」。毎年、大山周辺に住む人たちはもちろん、多くの観光客で賑わいます。
この「お盆の大献灯」は今回で7回目。もともとはお盆の時期に、絵灯篭やろうそく灯りが、十数年前から、参道沿いに灯されていました。これが、お盆の大献灯の最初の姿。総合演出の写真家によるアイディアで、和傘の灯りが灯されました。この和傘は大山傘と呼ばれ、今では、このイベントに欠かせない演出となり、多くの人がこの和傘灯りを見るために大山を訪れます。
この和傘を作っているのが、大山の麓のまち、淀江町にある「和傘工房 初音」の長谷川有沙さんです。有沙さんは兵庫県出身。およそ10年前に、家族がお父さんの実家である淀江町に引っ越すことになり、当時東京に住んでいた有沙さんも「なんとなく」淀江町に引っ越すことにしました。それまでは、東京でパティシエや料理人として働き、「工芸品とは縁もない生活をしていた」そう。
淀江町には、「淀江傘」と言う伝統工芸品があり、たまたま自宅近くにある「淀江傘伝承館」が後継者を探しているという話を耳にしました。淀江町に来てからは、「特に何がしたいわけでもなく、ふらふらしてたんです」と笑う有沙さん。周囲にすすめられるがまま、軽い気持ちで伝承館を訪ねると、そこには今まで見たことのない和傘がたくさん並んでいたそう。なるほど、それを目にして、自分が作ろうと決心したんですね、というと、「いや、全く・・・」と有沙さんは笑います。でも面白そうだと思った有沙さんは、まずは職業訓練校のふるさと工藝科に通うことになりました。ふるさと工藝科の和傘を専攻したのも有沙さんひとり。なかなか和傘の指導を受けるにも、困難ばかりで、詳しく学ぶことも容易ではなかったそう。そんな中、有沙さんが師匠と仰ぐ、伝承館の会長が急逝し、有沙さんの和傘づくりの道は、ますます困難を極めます。「でも、ここで自分がやるしかないんだ、和傘を作るしかないんだと腹をくくりました」という有沙さん。
現存する古い和傘や、他地方で現在でも生産される和傘を分解したりして、地道に和傘の作り方を学びました。「これで食べて行かなきゃならないし、師匠が生前語っていた、淀江傘復活の夢を実現するのも自分しかいないから」と、がむしゃらな1年間を過ごし、その後独立。「独立といっても、技術もまだないし、そもそも和傘に必要な部品や材料の仕入先すらなかったですからね。」
ここから本格的に「和傘工房 初音」として活動するまでは2年。自ら竹林に入り、竹を切り出し、ナタで竹を割り、和傘の骨組みとなる材料を調達しました。また、和傘に欠かせない「ろくろ」などの部品も、問屋さんを周り、仕入れ交渉を自ら行ったり、苦労の連続だったそう。本当に大変でしたね、というと、「まぁ、そうですね・・・でもなんとなく、なんとなく傘を作ることができるようになってきて・・・」とおっとりとした口調で話します。
当時は、友人も知人も全くいない淀江町で傘づくりを始めた有沙さん。「今考えると、なんでこんなこと始めたんでしょうね〜」と笑います。
その後、「山陰Sacca」という山陰のクリエイターやアーティストの集団に所属し、着々と活動を本格化し始めた有沙さん。当時、大献灯をディレクションしていた知人から声をかけてもらい、これまで絵灯篭だけだった大献灯で、有紗さんの和傘もライトアップすることになった。「1年目は、自分が今まで作った和傘をライトアップに使いました。でも天気が悪くて、ほとんど壊れちゃったんですよ」と当時を振り返る。2年目からは、ディレクターでもある写真家の山陰百景というポストカード集をもとに、現在の「大山傘」という和傘を作り始めました。
「このポストカードは山陰周辺の美しい景色を撮影したもので、私も初めて目にした時は感動しました。大山周辺の、写真もたくさんあり、ここからインスパイアされたデザインが多数あります」
大山の様々な季節の、様々な顔。有沙さんは、写真集をもとに、実際に自分の目にはどんな風に見えるのか、大山周辺を訪ねます。そこで生まれた様々な色の大山傘。夏の風物詩ではありますが、様々な季節の大山周辺の自然や文化が描かれた和傘のデザインから、1年中の大山を見ることもできます。
これからも続く、有沙さんの和傘づくり。めまぐるしく変化していく、大山の自然の美しさを、有沙さんの和傘を通して皆さんも見てみませんか。
お盆の大献灯・和傘祭り
時期:8月中旬頃
場所:大山寺山門〜神社参道〜大山寺本堂
問い合わせ先
鳥取県西伯郡大山町大山45
電話 0859-52-2502