小麦から生まれる地域の可能性 大山こむぎ
「大山こむぎ」。大山に住みだした頃、近所の人からもらった大山こむぎでパウンドケーキを作ってみたことがあります。お菓子作りが得意ではなく、小麦の品種なども全く知らず、レシピ本を見ながらなんとなく作ってみましたが、とても力強く、どっしりしたケーキに作った作った本人でさえ驚く美味しさでした。それからたまに買い物に行くパン屋さんや、道の駅で目にすることはあったが大山こむぎって何だろうなと思っていました。
今回お話を伺った笠谷さんの話を聞いて、大山こむぎプロジェクトの面白さ、素晴らしさを知ることになりました。
笠谷信明さんはこの「大山こむぎプロジェクト」の事務局長を2014年から務めています。笠谷さんの本業は経営コンサルタント。パンや麺類になったものを食べることはあっても、小麦とはまったくと言っても無縁の仕事をしていました。
「学校の先輩である出井さんが大山こむぎプロジェクトをされているということはなんとなく知っていたけど、なんとなくで・・・。たまたま出井さんがそのプロジェクトの成果発表会をするということで参加してみたんです。もうこのプロジェクトの可能性に感激して…帰りには出井さんに、僕なんか手伝いますよ。って言って」。笠谷さんは笑いながら続けます。
「それで今、自分が会社を作って小麦を作ることになるなんて思ってませんでいたけどね」
そう、笠谷さんは現在「山陰農業研究所」という農業法人を起こし、自ら小麦を育てることにしました。これまではプロジェクトの事務局として販路拡大やイベントの立案・実施、広報などを主に担ってきましたが、生産者として休耕田を耕し、種まき、草刈りなどこれまでの仕事プラスアルファのチャレンジです。「父親が土地家屋調査士だったので、自分の住む米子を始め大山界隈で遊休農地が非常に多いことは知っていました。だからこの遊休農地を利用したこのプロジェクトの意義も感じていたし、自分自身がその土地を使って小麦を作ることに抵抗はなかったです。むしろ可能性しかないと思っています!」と言う笠谷さん。いつもはスーツ姿がビシッと素敵な笠谷さん、笠谷さん自身がトラクターに乗ったりすることもあるんですか、と尋ねると「もちろんです!先日もトラクターでばりばり耕しておこしてきましたよ〜」と言います。昨年の11月に初めて小麦のタネを撒き、芽を出した笠谷さんの小麦。今年の初夏月頃が初めての収穫となるそう。楽しみですね、と言うと「製粉して、加工されてその製品を美味しいと言ってもらえるような小麦が作れるように努力しているので、僕自身が一番楽しみですし、ワクワクしますね」と声を弾ませ話す笠谷さん。大地を耕して地域を元気にしたい、そんな笠谷さんの強い思いと同じように力強く黄金色に輝く小麦を見れるのももうすぐです。
【ここで食べられます】
・よしぱん
・麦の屋
この他たくさんのお店などで大山こむぎを使った製品があります。詳しくは大山こむぎプロジェクトのfacebookページや笠谷さんのブログなどでご確認ください。