丹精込めて育てた大山の美味しい梨

大山にこんな伝説があるのをご存知でしょうか。

ー昔、高麗の国の人たちが日本の山とどちらの山が高いか背比べをするため、自分たちの国で一番高い山を連れて来た。雲間から見えた大きな山に驚き、自分たちが連れて来た山を捨てて帰ったー

英勝さんの梨畑から見える高麗山

そう、この大きな山というのが皆さんもご存知の大山。そしてこの置いていかれたと言われるのが高麗山(こうれいさん)という標高751.4メートルの山。この大山の麓にある高麗山。この高麗山は大山町でも有数の梨の生産地。ここでおよそ40年、梨を育てている人がいます。上田英勝(うえだひでかつ)さん(73歳)です。

英勝さんは梨農家の3代目。英勝さんはお婿さんとして27歳で大山の隣町、海沿いにある淀江町から結婚を機に高麗山の麓、大山町長田にやって来ました。「淀江は海の町やけ、漁師仕事の手伝いはしたことあったけど畑仕事はしたことなかった」という英勝さん、「それでも農家の娘と結婚するけん畑をすることは覚悟はしちょった」と笑います。36歳で3番目のお子さんが生まれたのを機に、サラリーマンを辞めて農家になりました。「本当に知識も経験もゼロだった」と当時を振り返ります。

上田家では70年近く梨を育てているそうですが、初めは葉タバコの栽培が主だったそう。時代の変化により、葉タバコよりも梨の栽培に力を入れるようになり、今では梨が仕事のメインとなっています。「義両親もあまり梨のことを知らんかったけん、教えてくれる人も周りにおらんかった」という英勝さん。隣では奥様の祥恵(さちえ)さんが「そうそう。なんもわからんし、専門的なことは私も知らんかったしな。でもこの人はのみこみはとにかく早かった。」と言います。梨作りは「とにかく書物を買って何冊も読んで勉強した」そうです。

樹齢70年以上の梨の木。今でも300個ほどの梨をつける。

梨づくり始めて10年くらいは苦労の連続。当時、組合で「甘い梨を作ろう」というスローガンがあったそうで、甘梨を作るためにはとにかく日当たりをよくすることが大切だという話を聞いた英勝さん。「この話を鵜呑みにしてな。そうかそうかと思ってとにかく枝をたくさん切って…切りすぎて樹をダメにしてしまった」そう。この過剰な剪定が原因でこの後数年は大変な苦労が続き、とても悔しい思いをしました。しかし奥さんも認める「のみこみの早さ」で、英勝さんはどんどん梨作りの腕を上げていきます。「何でも経験。永年作物はなかなか失敗が許されんところがあるけど、とにかくバランスが大事よ。」という英勝さん。

英勝さんの梨作りのキーワードはバランス。一本、一本、その木にあったバランスがある。肥料をやりすぎてもだめ、消毒しすぎてもだめ。毎年同じことをしていてもだめだと言います。英勝さんは減農薬を心がけ、必要ない消毒はしない主義。「データ通りにしてもだめ」と言い切ります。梨の仕事は一年中忙しく、冬の選定から始まり、春の交配、その後の袋掛け、草刈り、収穫まで一年中休む暇がありません。起きたらまず朝食も取らずに梨畑のある山に上がり、梨の様子を見に行く。そして食事を済ませると暗くなるまで梨の話をする。そんな生活を何十年も送った英勝さんにしかわからないバランスがあるのでしょうか。

梨の話をする英勝さんはいつも楽しそう

若いうちは苦労も多く、美味しい梨をなかなか作れす悔しい思いをすることが多かったそうで、絶対に見返してやりたい、美味しい梨を作りたいという強い気持ちが梨づくりの熱い情熱となり日々の努力を積み重ねます。「梨の木も人と同じよ。人も心臓が大事やろ。心臓が良くないと元気じゃない。梨の心臓は根っこ。根っこが良くないと梨もならん」と力強く教えてくれました。英勝さんの熱いハートから生まれる美味しい梨。また今年も梨づくりが始まります。

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