大山の歴史を刻む金門

かつては岩壁そのものを神門にたとえ御金門と呼ばれ、信仰の聖地として僧兵たちが修行に励んだ場所。この金門は実は深い深い大山の歴史において重要な場所でもあります。

そもそも金門とは「禁門」と言われ、ここからは霊域として神のいるところとして、一般の出入は禁じるという意味があったといわれています。また「切分け」ともいわれ、文字通り切り立った崖が両脇に迫って壮大な景観を作り出しています。この切り立った崖は、大山がまだ山岳仏教の修験の場として開かれていたところの遺跡の跡を現在でもとどめており、ここで修行した僧たちの故事が天狗の伝説となって語り伝えられている場所です。

大山にまつわる重要な史料である大山寺縁起には次のような内容が記されています。

孝元天皇の時代に八大竜王が権現の神勅を奉じ、大智明権現の殿堂を造営するため大きな岩壁を切り開こうとしていた。そのとき、宝浄世界の二羽の金剛鳥がやってきて、仏の徳を唱えた。自然の美しさや、小鳥の可愛らしいさえずりに体や頭が軽くなり、あっという間に切り開き、ふと上に目をやると大山北壁が見えた。

大山信仰では山林修行から始まり、次第に山奥に分け入り、岩山や岩窟、断崖などで心身を鍛えていました。この金門は昔はもっともっと厳しい場所で、修験の場としてはもってこいの場所だったことでしょう。左右の断崖の上には五大虚空蔵、求聞持堂、釈迦堂、金剛童子、文殊堂などがあったそうですが、今はひとつも残っていません。

また金門の「金」は方角としては西になるので、大智明権現を中心として西の門としたと考えられます。この西という方角は当時の人々にもとても重要な方角で夕日が沈むところには浄土があるという西方浄土の考えがありました。今ではただ景色のいい場所、夕日の美しい場所などということでしかなかなか知られることのない金門ですが、こんな古くから人々に大切にされた場所でもあります。

また金門の南側には「賽の河原」と呼ばれる場所があります。ここには祖先や家族の霊が集まる場所として考えられ、霊場信仰の場所でもありました。この賽の河原は死者が通る道として考えられ、ここに来ると祖先に会えるという話も残っているようです。

金門から見る大山北壁

この金門の歴史を知るとただの撮影スポットとしてだけでなく、強く、そして清々しい場所として感じることができるのではないでしょうか。北壁の荒々しさ、雲が降りて来るのを感じられる歴史深い場所。神の山のパワーを感じてみてはいかがでしょうか。